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小西行長 「抹殺」されたキリシタン大名の実像 史料で読む戦国史 鳥津亮二 八木書店 2010年

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小西行長 「抹殺」されたキリシタン大名の実像 史料で読む戦国史  鳥津亮二  八木書店  2010年 最終頁にこの本の紹介の新聞記事が貼付、蔵書印、書き込みあり。 カバー・本ともに良好です。 【目次】 カラー口絵(8ページ) はじめに 第一章 小西一族と秀吉—一五五八~一五八五年— 一 小西氏と堺・日比屋氏 行長の家庭環境/日比屋了珪との関係/小西氏と日比屋氏/了珪の一次資料/立佐の生い立ち/立佐は京都へ 二 行長の生い立ちと父・立佐 行長の生年/京都で洗礼を受ける/和田惟政と立佐/信長と立佐/堺とパイプを深める 三 行長と宇喜多氏 秀吉書状に見る宇喜多氏と行長/宇喜多氏に仕官/秀吉との出会い 四 秀吉に登用される立佐と行長 秀吉に仕える/信長書状に見える「小西」 五 海の司令官・小西弥九郎 主な任務は海上輸送/行長の地位/戦闘への参加/小豆島との関係 六 紀伊・四国攻めと行長 紀伊攻めに参陣/四国攻めにも参加/行長の出世 七 父・立佐の活躍 秀吉の側近になる/蔵入地代官に/そして堺奉行に 〔コラム①〕神様として祀られる行長 第二章 九州への道程—一五八六~一五八八年— 一 秀吉の九州攻めと行長 大坂での秀吉・コエリョ会談/行長の小豆島布教要請/イエズス会士との交際/赤間関へ兵粮輸送/松浦氏への命令伝達/立佐による兵粮輸送/水軍として九州へ/八代での秀吉・コエリョ会談/薩摩川内に到達 二 伴天連追放令と行長 秀吉—宗氏の「取次」/九州諸大名への「監督権」/博多町割り奉行/対イエズス会政策の転換/「伴天連追放令」発令/行長は「泣いた」/行長の「信仰心」/小西「摂津守」に 三 秀吉上使、そして肥後領主へ 肥後・肥前一揆勃発/肥前一揆の事後処理/肥後一揆の事後処理/肥後半国の領主に 〔コラム②〕行長の花押の変遷 第三章 肥後統治と対朝鮮交渉—一五八八~一五九一年— 一 行長の肥後統治 行長の所領と領知高/行長・清正の肥後共同統治/行長の肥後入国時期/家臣団を編成 二 城郭整備と天草一揆 領内の城郭編成/宇土城を新築/八代城(麦島城)も新築/天草五人衆と行長/天草五人衆の抵抗/天草一揆の鎮圧/天草とイエズス会活動 三 立佐・如清の活動 立佐は室津・小豆島を管理/立佐、長崎へ/キリシタンとしての地位/小西「和泉守」立佐 四 宗氏との対朝鮮交渉 宗氏の対朝鮮交渉/行長の焦りと「すり替え交渉」/朝鮮使節来日/「唐入り」準備にあたる/多忙な行長 〔コラム③〕創作された行長の書状 第四章 文禄の役—一五九二~一五九六年— 一 釜山上陸から漢城入城 開戦直前の動き/釜山上陸/交渉を模索しながらの進軍/漢城入城と還住政策 二 平壌入城、そして撤退 行長と清正の「ズレ」/平壌入城/沈惟敬との接触/平壌から漢城へ撤退 三 講和交渉の展開 偽りの「勅使」来日/北京へ内藤如安を派遣/行長の野心/熊川でセスペデス招聘/大名同士の交流 四 講和交渉の破綻 秀吉の最終和平条件/講和に向けた軍縮/明正使の逃亡/日明講和の破綻/ 行長のミス/立佐の死と如清の役割 〔コラム④〕行長の容貌と人柄 第五章 慶長の役から関ヶ原へ—一五九七~一六〇〇年— 一 慶長の役 講和をあきらめない行長/全羅道へ侵攻/順天での行長/朝鮮からの撤退 二 秀吉死後の政争 分裂の萌芽/三成と行長/兄・如清の役割/家康と行長 三 最後の肥後滞在 朝鮮出兵と行長領内の人々/肥後帰国後の領内統治/領内でのキリスト教布教/行長による布教の意図/披虜朝鮮人と肥後のキリスト教 四 運命の関ヶ原 行長上洛/関ヶ原合戦前夜/関ヶ原での敗戦・刑死 〔コラム⑤〕八代の殉教者たち 終 章 変わりゆく行長の評価 あとがき 〔付 録〕 小西行長発給文書集成 史料解題 参考文献 小西行長関係キリシタン略伝 小西行長関係略系図 索引(人名・事項) 宇土城復元図 小西行長関係年表

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