あやとりの記
石牟礼道子
飯尾都子(絵、水俣の道子さんの友人)
福音館日曜日文庫
1983年
函付き。
函・本にヤケあり。
ヤケのほかは良好です。書き込み見あたりません。
夕陽が、みっちんのいる藪くらの中から、川塘に沿っている往還道を照らし、野面を照らし川波を照らし、海の上にありました。
夕陽のひろがるのと同じ感じでみっちんには、いろいろなものたちの声が聞こえました。草や、灯ろうとしている花たちの声とか、地の中にいる蚯蚓とか、無数の虫たちの声とか、山の樹々たちや、川や海の中の魚たちの声とかが、光がさしひろがるのと同じように満ち満ちて感ぜられ、それらは刻々と変わる翳りをもち、ひとたび満ち満ちたその声は、みっちんの躰いっぱいになると、すぐにこの世の隅々へむけて幾重にもひろがってゆくのでした。なんだか世界と自分が完璧になったような、そしてとてももの寂しいような気持ちを、そのときみっちんは味わいました。
(本書より引用、三日月まんじゃらけ)
『あやとりの記』は石牟礼さんの自伝的小説。
裏表紙にはこうあります。
「すこし神さまになりかけて」いるひとたちと楽しみ、また悲しんで、宇宙のはからいを知る幼い「みっちん」の四季。
「みっちん」は石牟礼さんの幼いころの呼び名。みっちんが人びとと、風土に息づくものたちとまじわり過ごす日々が描かれています。
『苦海浄土』に描かれるまだずっと昔の水俣が舞台。水俣病も出てきません。
けれど、みっちんはもう悲しみを知っている。石牟礼さんはあとがきで、「前の世の闇から生まれ出たばかりの赤児の孤独」と言い表されています。
石牟礼さんの悲しみは、水俣病や近代にばかりよるものではなく、人が人として生きることそのもののもつ悲しみ。
そのことが明るく静かな言葉でつづられます。
福音館書店から発行されている本書の対象年齢は、「小学生上級以上」とあります。
小学生のときにこの作品に出会っていたら、どうだったろう。きっと今より、気負いなくこの世界に入り込んでゆく気がする。
わが娘が大きくなったら、こっそり本棚に忍び込ませてみよう。
名前をいただいたその「みっちん」の悲しみをその言葉から感じられるほどになったら。